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西新宿 彩旬亭

一言 第591号は発行済みです

申し訳ございません、アップするのを忘れておりました。今更ですがアップさせていただきます。



新聞を読むと、色々なニュースがあります。悪いニュースであれば、明日は我が身かもしれないと自らを戒めます。
他人のしたことを咎めるのは簡単なことであります。最近感じるのは、その他人を咎める人が多いこと、或いは咎める表現が酷いことです。
正しいことを言い、咎めることは誰にでもできることですが、我が身を省み正しい行動をとることは簡単ではありません。
人は他人から咎められると反発したり、反論してしまいます。それを見抜いてくださっている仏さまは、咎めることなく南無阿弥陀仏と仕上げて私に届けてくださっています。
南無阿弥陀仏とお念仏申し、仏さまのお慈悲に気付けたとき、我が行いを反省しいかに生きるのか、人生の方向が示されます。我が人生の方向がわかれば、他人を咎めることをしません。咎めることの醜さに気付き、たとえ失敗しようとも見守られていることに気付き、人を見守ることができます。
親には咎められることなく見守られていました。だから今日の私があるのです。誰もが仏さまのお慈悲の中にありました。

宗教法人 西教寺