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西新宿 彩旬亭

一言595号



今この一言を読んでくださっているということは今日があります。
今日があることが当たり前だと思っていませんか? 今日があるということが保証されている人は誰もいません。
朝、起きてこないから起こしに行ったら冷たくなっていた人。「行ってきます」と元気に出かけたが、交通事故に出会ってしまった人。買い物の途中で倒れてそのままの人…。誰もが死の縁は無量なのです。
つまり今日あることは非常に有り難いことなのです。日々感謝しなければなりません。
それを忘れてしまって当たり前に生きているうようであれば、それは知識でしかありません。本当に今日が当たり前でないと身をもって知らされた時、その事に気づかさせられた時の事は忘れることができません。何よりも大切なことは、忘れることのできないその機会を得ることです。
知識でない命の尊さを知らされるとき、実は仏さまの働きがあるのです。仏さまの真実にゆり動かされた時、知識をもって有り難いことを否定していた自分に気付かされます。有り難い今日であります。

宗教法人 西教寺